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2chに投稿された興味深いレスを独断と偏見でコピペ。
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【政治経済】平成床屋談義 町の噂その267

636 :日出づる処の名無し:2009/10/05(月) 02:34:44 ID:9aTuUeKP
ふと思うがなんで日本のマスコミってこんなにダメポなんかなあ
戦前は戦争煽りまくりだったし戦後は言わずもがな

639 :日出づる処の名無し:2009/10/05(月) 02:37:55 ID:p3FmzYky
>>636
スポーツ新聞みたいなのから始まったからじゃないのかねえ。
江戸時代の瓦版ってそういうイメージだなあ。

644 :日出づる処の名無し:2009/10/05(月) 03:06:51 ID:5ke3pXe3
>>636
今生き残ってる新聞社はすべてもともと「小新聞」という、今で言うところの
タブロイド紙なんですな。

かつては西洋で言うところのクオリティペーパーである「大新聞」が
存在したのだけれど、これらが政府批判したりした結果締め付けが
厳しくなって衰退し、残った小新聞が後に大新聞の猿真似を始めて、
ついには自らを「クオリティペーパー」と思い込むようになり、現在に至る
というわけです。

645 :日出づる処の名無し:2009/10/05(月) 03:10:35 ID:FRaSzyxt
>>644
そういえば、盆に帰省した時、蔵掃除手伝ったら、昭和九年の國民新聞が大量に出てきた。
あれって徳富蘇峰がやってた新聞だよねえ?
今じゃもうないけど。ああいうのが大新聞って呼ばれてたですか?

647 :日出づる処の名無し:2009/10/05(月) 03:15:28 ID:FRaSzyxt
>>645
自己レス。今wikipedia見ただけで、それ以上の確認は確認はしてないけど
昭和9年には徳富蘇峰の手をすでに離れてたみたい
日比谷バーベキューのターゲットにされたり、護憲運動の時襲撃されてたり
してたころは論説に筋のあるクオリティペーパーだったみたいだけど
大正中期には大衆化して、朝日並みの低俗紙になってたみたいだね。

648 :日出づる処の名無し:2009/10/05(月) 03:17:21 ID:kdZ6Ii2S
関東大震災で棚から活字が落ちて在京新聞の多くが新聞が発行できなくなった
一番被害の大きかった読売は在阪新聞から活字を分けて貰ったり支援を受けて
皮肉な事に一番最初に再発行が可能になって、他の新聞社は潰れたって話を聞いた

649 :日出づる処の名無し:2009/10/05(月) 03:22:55 ID:kcc/b9BG
>>636
創業〜戦前のどこかの時期では、今で言う「ジャーナリズム」とやらが実践されていた時期もあるだろうね。
戦時中に国家との馴れ合いを覚え、御用聞きと化してからは内部に甘えの体質ができたんじゃないだろうか。
戦後、政財界は一時的にせよGHQの干渉を受けて変化したのに対して、新聞社は報道を制限されただけ。
甘えの体質は温存され、いびつな村社会は温存されたと。
そういった体質がよく現れているのが、高い人件費、充実した海外特配の割に低レベルの報道、身内の犯罪をかばう傾向、低レベルの解説と高いギャラ、再販価格維持制度 etc.

日本のメディアの適正化には、外国のメディアへの市場開放が一番じゃないか?
メディアビッグバンが必要なんだよ。

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